Vol.236 -- 2019 年 12 月号

 

第百二十七回 曲がったキュウリも料理すれば同じ

 日本人は世界でも清潔好きで、こと売り物については、汚れや傷物が嫌いで完全主義者だ。大都市でも、小さな八百屋に行くと地元の農家から仕入れた野菜や果実を売っている。それらは新鮮ではあるが粒が揃っていない場合も多い。一方、系列化された食品店では物流倉庫から配送され地方の農協から規格化された大きさも形状も揃った箱入りの農産品が売られている。

 不揃いの果実や曲がったキュウリは大都会に住む日本人にはあまり好まれないが、私は気にしないで買う。その理由は、料理するとそんなことは気にならなくなるからだ。野菜を料理するときに切るので、外観が問題になることはない。農協では箱に入るような寸法の農産物を選んでいるからだ。入らないものは、寸法外や形状外として除かれ、地元で消費されるか廃棄されるから無駄が出る。また収穫過剰であれば市場価格が落ちないように廃棄される。

 米国もカリフォルニアは農業州で農作物が豊富だ。シリコンバレイ地域では、セイフウェイと言う食品市場が主流だが、売値は安定している。ここ十年来テキサスから入ってきて来たホールフーズは、やや高価な商品を売っている。さらに以前からカリフォルニアでパーティ用の食材を売ってきたトレーダジョーズは、自社ブランド品をやや低価格で多数販売している。米国の農産品小売店は、日本のように生産過剰でレタスなどが半額になることはない。収穫が不足する時にもレタスの値段が倍になる代わりに、数量が少なく早く売り切れるだけである。一方、日本と米国の客の「選り取り」を見ていると、東洋系人の客(日本系、韓国系、中国系)は外観の良いものだけ選んで買い、欧米系の客は外観にはあまりこだわらないで買う。

 次は外食の完食率の事で、日本での外食では客の食べ残しや調理場で食材の不要部分の切り落としも多く、食材産業から生じる全国の食品廃棄物は、毎年千七百万トンに及ぶと言われている。米国では客が注文して支払った食べ残しを持って帰るのは客の権利で、犬にやるからと包んでもらう。日本では、食中毒で訴えられるのを恐れて居食屋が客には食べ残しを渡さない。国民のふところも格差は広がる一方で、その日の食事に不足する人々多い。私見では我々日本人は現在世界でもっとも無駄が多い国民だと感じている。仕事も残業が長いのに効率が低いと批判されるのも残念だ。働き方改革と喧伝されても大企業や官庁以外は一向に実質的残業は減らない模様で、その影響か、私の地元を通る田園都市線の帰宅する乗客の増加はすごい。もちろん朝の出勤時の混雑も緩和されてはいない。

 近年、地球規模で極端な気候現象が増加しているように思われる。でも太平洋戦争直後は私の小学校時代で、首都環状六号線外側のがけ地に自宅があったが、夏休みの終わりごろに台風に見舞われ二階の屋根瓦が吹き飛び父と一緒に修理するのが大変だったのを想い出す。この頃はまだ敗戦から環境基盤が整備されていない頃で、台風であちこちに洪水が起こった。さて農地が災害に見舞われると、出荷できる作物が減ったり、なくなったりする。そのような状況では、災害を受けなかった地域の消費者は、通常よりは少し高くても「義援商品」として製造した「訳あり農水産品」を購入して災害復旧に協力する。もちろん「故郷納税」でこれを行うこともできる。

 災害地からの農水品の宅送は、個別輸送になるので輸送費がかさむ難点がある。それよりも消費者の住居地に近い販売拠点へ出向いて購入する方が売り手に多くの利益が残る。

1.野菜なら漬物やピクルスなどの加工食品(緊急時用の備蓄食品など)
2.果実なら缶詰めやジュースなどの加工食品(緊急時用の備蓄食品など)
3.菓子に利用できる果実は現地で加工する
4.海産物なら缶詰めに加工する

 「災害時の地産品」は大都市のアンテナショップや駅内店で販売するようにすれば、梱包や託送料金が高い日本でも災害地の利益が残るような販売が出来るだろう。このためには、災害情報の把握と災害地との連携する非利益法人との連携が必要になる。消失した沖縄の首里城の復興資金数億円が集金できたのも、情報技術の進歩のおかげである。「災害時の地産品」は大都市の企業の部署で入手しても良いだろう。そのような食品を社内ピクニックに使ってもよいし、税法上許されるなら、政党の資金集めに販売できるだろう。


Vol.235 -- 2019 年 11 月号

 

第百二十六回 日本式思考の限界

無事への過信
 過去十年間を振返ると何回も大災害が起こったが、今回の台風十九号では、東日本地域に多くの水害が生じた。通常、河川には堤防が築かれており、河川への排水用水門はあるものの、河川の水面が上がると、堤防の外側から排水することは、揚水ポンプなしでは出来なくなる。今回の台風では、このような洪水状況が、多くの地域で見られた。それよりも驚くべきことは、長野県千曲川付近の北陸新幹線の車両基地や福島県郡山市のバス車庫が洪水危険地域に設置されていたことである。とくにこの新幹線車両基地では全車両の三分の一、郡山市では車庫のバス九十台すべてが水没した。東京メトロなど地下鉄道で、過去二回ほど構内への浸水事故はあったものの、火災や水害から生じる死傷者がないのは驚くべき高い安全性だ。一方、路上交通事故は人間の不注意から頻発し、そのために自分に責任がないのに生命を奪われたり障害者にされたりする。日本は欧米に比べ処罰が軽いことと、道路整備が貧弱なことが、人身事故が絶えない原因だろう。技術が進んでいる国が先進国ではなく、人間を尊重する国が先進国である。

馴合いの不正
 二〇一一年に起きた東日本大震災大津波災害は、原子力発電所の放射線災害が併発したことが復旧を困難にしている。日本政府が米国から導入し一九七〇年に初稼働した原子力発電は、日本のような地震頻発国では安全操業できず、発電で生成される核廃棄物の処理や再生の技術は、五十年も経った現在も世界的に未確立だ。先進国では原発は減り、発展途上国では増加している。日本でも原発は続け、世界で一番安全だと言って安倍総理は拡販運動をしている。すでに建設された二十ほどの原発は、金がかかるという意味では、棚からぼた餅式の地域活性に好材料だった。現在累積する核廃棄物処理は埋没以外に方法がないが、これとて高価だ。地球温暖化の原因が二酸化炭素の排出であると言うことと、発電費用だけなら原発が安いと言う屁理屈は日本政府が原発を捨てない理由だ。

日本の原発政策
 数年来、森友学園の土地取得や国家戦略特区の加計学園の違法性が取沙汰されたが、想定外の人身事故が今年起きた福井県の高浜原発(第一号機一九七四年)では、原発政策を推進する政府とこれを指導する経産省が現地の福井県高浜町に協力支援金を出し、その一部が原発工事を発注する関西電力への賄賂として死亡した町の助役により使われ、この助役は地元工事会社を指定していたと言われる。この賄賂は十年間で三億円にも及び二十人の関西電力関係者に渡ったと言われ、国税庁に摘発された。

 東京電力福島第一原発の大事故の原因は、地震で停止した原発の非常電源が津波の浸水による不動作が起こした、核反応炉の制御不能だった。この事故では、非常電源室を海岸近くに設置したと言う初歩的誤りが命取りになった。もちろん、核反応炉はその反応が即時に停止する訳ではないから、冷却し続ける必要があり、そのポンプを動かす電力が必要だった。このような手落ちは巨大な負の遺産を作り出した。爆破し放射能を出し続ける施設と湧き出す地下水が作り出す原発汚染水の除去など、ことの収拾には今後四十年もの歳月が必要だと言われる。

日本の防衛
 出稿の数日前まで、北朝鮮・中国の軍事力拡大と日米安全保障条約とが、テレビのニュース番組をにぎわせている。北朝鮮も中国も、往時のソビエト社会主義共和国の傘下でソ連から技術力と軍事力を受けた。最近、両国の軍事力の拡大と進歩は目覚ましく、欧米と比較すると多彩なミサイルに特徴がある。欧米世界で空の武器は、有人と無人のドローンを含むジェット戦闘機やヘリコプタだが、主役はミサイルではない。多分、その違いの理由は、ロシア・北鮮・中国はミサイルに基地も不要、操縦士も不要、機体も安価で回収不要と言う利点を採択したのだろう。さらに陸上・洋上・潜水艦からも同時に何発でも打てる利点がある。

 日米安全保障条約で日米が想定しているのは、空母から飛立つ高性能ジェット機同志の空中戦とイージス艦から敵機を撃ち落すミサイルだろうが、ロ・北・中が相手となるとそんな実戦にはならないだろう。敵方はイージス艦ミサイルの弱点をよく知っているだろう。彼等が日本を攻撃するなら、日本海沿岸に多数ある原発を狙うと威嚇するだけで十分だ。そうなると日本が米国から買うF35もイージス・ミサイルも見世物にする以外無駄な持ち物になる。せいぜい領海侵入機を追払う役にしかならない。無人F35なら良いが、現状では有人F35を飛ばすしかできず、飛行士が生命の危険にさらされるばかりだ。


Vol.234 -- 2019 年 10 月号

 

 

第百二十五回 野菜収穫ロボット

 今夜のテレビ番組では、アスパラガス農家の収穫をロボットが行う場面が紹介された。日本でも高専のロボットコンテストが人気番組になってから、すでに十年以上になる。半導体の処理速度もデータ容量も初期に比べると何百万倍にも改善した。機械運動の精度は、コンピュータ言語の進歩と有線無線の通信技術の進歩に助けられた。おかげで、宇宙に飛び立ったJAXAの飛翔体が数年間も飛行して、天体の土壌を拾得して地球に戻ってくる時代になった。無線で操縦され空中を飛ぶものはドローンとも呼ばれ、監視や薬剤散布やアマゾンが発表したように試験的に商品配達に使われるようにもなった。米国では一九八〇年代に軍用の無人機ドローンが開発され、イラク戦争で偵察や無人攻撃に試用された。

身代りの仕事屋、ロボット
 テレビ番組に出演した「収穫ロボット」の、鎌倉で開発試作実験をしている「原型(試作品、プロトタイプ)」が紹介された。開発者の彼は嬉しくなるような事業展開を話した。本体の試作には市販の部品を組合せ、百万円もあれば作れると言う。「収穫ロボット」に付いているカメラが人工頭脳により温室に生えているアスパラガス苗のうち収穫したい寸法のものを選択し、ロボットの腕に付いたナイフで切取り、かごの中に積込むと言う作業を自動で行う。彼はこの「収穫ロボット」を販売せずに賃貸しすると言う。仕事をする機械は「財産」ではなく「道具」だと考えた方が良い。

 この「収穫ロボット」の開発と運用には政府の資金援助があるだろう。「収穫ロボット」を使用する農家には賃借りの方が買取りよりも負担は少ない。試作品はいつ動作不良になるか分からず、技術的改良を続ける必要がある。試作に関わった「収穫ロボット」は訓練を受けた作業員付きか、農家への指導付きで賃貸しすればよい。収穫作業に携われば、「収穫ロボット」の改良に役立つさまざまなデータや経験が得られる。

技術進歩で情報の流出
 ロボット、ドローン、ソフトウエア制作の技術的基盤は世界的に定着している。産業用ロボットは一九六〇年代の高度成長の日本にいち早く採用された。いまや世界のドローンの七割以上は中国で生産される。日本が敗退した産業分野は数知れないほど多い。家電品(生活から映像音響)と携帯電話も二〇〇〇年頃には撤退が始まる。それでも部品供給では日本は、まだ大きな市場を持っている。

 数十年来、携帯電話やスマートフォンと言う「携帯通信端末」が「人々の生活」を支配しはじめた。「固定電話」の何倍もの料金を払っても、手軽な「携帯端末」を手放すことが出来なくなった。あなたの周辺を見て御覧なさい。人々は、電車に乗っても、(車を運転しても)、歩いても、立止まっても、買物するにも「携帯端末」から離れることが出来ない。「携帯端末」を使用する人々の行動は、「応用プログラム」の「便利なサービス」に支配され、公共通信路などのパイプを通してデータが送られるため、グーグルなどに常に監視されている。特別料金を支払って私設のパイプを通さなければ、これを避けることは出来ない。

 「便利なサービス」の例は、家電品のスイッチを決めた時間に入れてくれるとか、自宅のカメラによるペットの行動の監視である。その情報は、サービスを提供した業者がビッグデータとして誰か他人に流し、商売に流用している。無料のサービスには、そのデータを流用されると言う同意が求められている。フェイスブックは何百万人もの会員の情報を、英国のある商売をする企業に巨額の対価で売り払ったのが発覚して、社会的に大きな非難を浴びた。

 そのうち、中国製ドローンの操縦がファウェイの第五世代の携帯電話で行われると、関連情報は中国に吸上げられる。米国のトランプ大統領は、米国が時間と金をかけて開発した技術を中国が盗んでいると怒っているが、その気持ちは理解できる。現在、中国の情報局は、街中に設置したカメラの映像と携帯端末から、個人の情報を集めているらしい。一帯一路を推進する中国は、ファウェイの携帯電話網をまず米国に広げたかっただろう。私見では、中国ファウェイの第五世代携帯電話の日本国内使用は、日本の安全を脅かすことになりかねないと警告したい。

 政府による良い意味での都市計画の推進には、現在のように国土を安易に民間に払い下げず官有とし、長期計画に基づいた賃貸しをするべきである。とくに日本を乗取ろうとする外国民が、官有にせよ私有にせよ、わが国にある不動産を最終的に取得することを阻止する必要がある。このような危機に瀕していると思われるのは、島根県や北海道の不動産である。私が見るに、外国では役所の計画で必要な道路を作るために、必要な個人所有の不動産は、条例で役所が取得できるが、日本では個人所有者がごねるために公共工事が思うように進まないと言われる。日本の大都市では街路の歩道の幅が不十分な場所が多く、障がい者を含む歩行者の安全な通行が阻害されている。地表の歩道も横断歩道との接続部で段差があったり進行横方向に傾斜があったりして障がい者の歩行や車椅子の通行には不具合な場合も多い。日本では地表の歩道では車両である自転車が交通規則に従わないため歩行者や障がい者は大きな危険にさらされる。また、都市の人口過密化のため通路が地表から屋内や地下へ拡張され地下鉄道と接続される場合が多い。この場合、障がい者が乗換えるにはエレベータやエスカレータが適当であるが、その設置空間が十分無く、階段通路に沿って移送レールが苦し紛れに設けられているものの、扱いの不具合さに耐えかねて不使用の場合が多い。また障がい者通路が後付けのため不本意に長い場合が実に多い。


Vol.233 -- 2019 年 09 月号

第百二十四回 区立中学校で授業のお手伝い

 区議さんから教育委員会に紹介され、地元の区立中学校で授業のお手伝いを経験した。この中学校は一学年四学級、科目によっては生徒の習熟度により「授業学級」が編成される。当初は英語授業のお手伝いの予定だったが、校長の要請で三年生の数学基礎コース二学級で新任の先生のお手伝いとなった。この基礎コース二学級では女子が半数よりかなり少ない。このことは、より多くの女子が習熟度の高い別の学級にいることになるのか。

 登校時間には校長を含む当番の先生が交代で校門前で生徒を出迎える。五十分間の授業が八時四十分から始まる。三年生の数学基礎学級では十五人から二十人程度の生徒が、決まった教室の決まった席にすわる。数学授業には、教科書と副読本と先生が作るA3版両面印刷の資料が使われる。この配布資料には、授業内容のまとめと演習問題が載せられている。私が授業のお手伝いを始めたとき、七月初旬の(七月十九日で前学期終了)配布資料には十頁目と書いてあり、ちょうど二次方程式の解法が始まった頃だった。

 この学校の授業表示設備は電子化されていないため、緑色の黒板に白墨で書くか、ラップトップPCから動画図形を投影機(プロジェクタ)で黒板上に投影している。しかし窓際の暗幕を引いても、緑色黒板に投影される映像は見にくい。この緑色黒板を「白板」に置換えるには相応の予算が必要になり、高価な消耗品、「マーカーペン」も必要になる。それなら引き下し型の「投影幕」を使用する方法もあると言うのが私の老婆心だ。

 数学の授業は、初めの三、四十分くらいが講義で、あとは配布資料に印刷してある問題の演習だった。講義では先生が一人一人の生徒の名前を呼びかけながら質疑対話し、緑色黒板に白墨で書いたり、投影したりしながら授業を進める。私は米国シリコンバレイの生活を十年ほど前に引き払い、日本に帰国して大学の教職に就いた。学生の名前を「さん付けで呼ぶ」ことを実践した。当時、他の先生たちはそんな呼び方をしていなかったが、十年後ここの中学校で、新任の数学の先生は、生徒を「さん付けで呼んで」いる。数年前から、テレビやラジオでも未成年者たちを「さん付けで呼ぶ」ように変ったのは、時代の変化と言うものだろう。

 さて数学の授業で問題演習になると、担当の先生は着席している生徒の間を歩いて問題を解く指導をすることとなる。世田谷区では個人的問題を抱える生徒も差別せず他の生徒と同じ教室で教える。授業中居眠りなどしているのは二割程度、鉛筆を立てて何もしていない生徒は三割程度いる。問題を次々と解いていく生徒は二割くらいか。先生が「分からない人はいますか」と問いかけても、手を上げる生徒は殆どいない。自尊心のため、分からないことを表明したくない。そこで私は、じっとしている生徒を探して、「一緒に問題を解こう」と声をかけることにすると生徒の反応は変った。配布資料から生徒に解きたい問題を選択させ、授業で習った問題の解き方の要領を再び私が説明する。私はA4版四分の一のメモ用紙を取り出し、生徒の前で話しながら、手際よく問題を解く手順を書いて見せ、そのメモは生徒に渡す。その時間は一、二分もあれば十分だ。そのやり方で解ける別の演習問題も配布資料から探し、あとは生徒に自分で配布資料に書込ませる。こうすれば一回の授業で三人から五人の生徒の演習支援ができると感じた。  新任の数学の先生は、週三回の数学の授業を合計二十二コマ教え、登校しない生徒に遠隔学習指導もする忙しさだ。諸外国と違い、日本の先生には「その他色々」(部活動や生徒指導や文科省への報告や父兄対応も)求められる。この対応が日本の先生は時間的にも忙しい。校長も担当の先生も、外からの電話には気をつかう。生徒にいじめや自殺や交通事故が起れば、学校はひっくり返る。

 欧米では、時代と共に契約精神と分業特化が進み、外部の専門家に教務以外の機能を任せた。一方、日本の学校のように閉じた環境では、文教予算節約もあり、出来るだけ多くの機能を内部の人材で消化する傾向が進んだ。最近の傾向は、スマートホンで情報を妄信することだ。生徒と父兄はホームページに発するSNSを比較し、各学校の部活動などに「過大な期待」をかける。地域の各校は評判を上げようと競争が過熱し、教職員の生活時間が圧迫されるのではないか。最近の研究によると、環境変化は新たな遺伝子を組込むという。我々日本人に「過剰競争」をする遺伝子が組込まれたのか。


Vol.232 -- 2019 年 08 月号

第百二十三回 障がい者や年長者の移動をもっと容易に

労働力不足は、障がい者や年長者に労働の機会を開く。昨年末頃に、障がい者雇用法に反して模範となるべき多くの役所が、職場で一定の割合で雇用しなければならない障がい者の数を偽って、障がい者でない労働者を雇っていた長年の慣行が発覚した。仕事をする障がい者や年長者は、自宅で仕事をしたり苦労して通勤したりする。自動車の自動運転の信頼性が十分に高まれば、彼らの自動車通勤が可能になる日も近い。

障がい者の外出の障害
 なぜ日本では「障がい者の外出」に障害が多いのか。第一回の東京オリンピックは、荒廃から復興した東京を世界に見せるには十分な意味があった。しかし、その頃は至るところで障がい者の移動に配慮が足りないことは明白だった。それから二世代、約六十年が経つと言う二〇二十年の東京オリンピック開催では障害選手によるパラリンピックも行われる。障がい者に対する環境に「どれだけの改善」が期待できるか。これは私の偏見ならばと願うが、今回の東京オリンピックは「当初のこじんまりした大会」と言うのも「大会を日本で獲得するための言訳」ばかりで、いざとなると次々と箱物商売の本音が何時も通りに露呈し、当初予算をはるかに超える単なる箱物事業ばかりが儲かる話に落ちつき、都市における障がい者や年長者の活動を促進する環境作りには声が低い。

都市整備と土地政策
 関東大震災で焼け野原となった東京は当時の大都市としての大変革を遂げ路面電車網が敷かれた。しかし米軍の大爆撃により焦土となった東京の五十年後、百年後を見据え、更に近代化する都市計画の中心を、障がい者や年長者を含む市街道路政策と都市交通網におく考えには及ばなかったようだ。政府は産業や商業の振興による税収よりも、都市化による私有不動産価値の暴騰する相続税に期待しすぎた。世代が変わる度に宅地の細分化が進み、当初の住宅都市計画が保てなくなってきた。欧米では売買や相続による宅地の細分化は法律により厳しく統制されているが、日本では細分化が相続税収増加のために放任された。やっと最近、政府もこれに気づき、小規模宅地の細分化を防ぐために相続税の特例による減免が始まったが、すでに手遅れだ。

 政府による良い意味での都市計画の推進には、現在のように国土を安易に民間に払い下げず官有とし、長期計画に基づいた賃貸しをするべきである。とくに日本を乗取ろうとする外国民が、官有にせよ私有にせよ、わが国にある不動産を最終的に取得することを阻止する必要がある。このような危機に瀕していると思われるのは、島根県や北海道の不動産である。私が見るに、外国では役所の計画で必要な道路を作るために、必要な個人所有の不動産は、条例で役所が取得できるが、日本では個人所有者がごねるために公共工事が思うように進まないと言われる。日本の大都市では街路の歩道の幅が不十分な場所が多く、障がい者を含む歩行者の安全な通行が阻害されている。地表の歩道も横断歩道との接続部で段差があったり進行横方向に傾斜があったりして障がい者の歩行や車椅子の通行には不具合な場合も多い。日本では地表の歩道では車両である自転車が交通規則に従わないため歩行者や障がい者は大きな危険にさらされる。また、都市の人口過密化のため通路が地表から屋内や地下へ拡張され地下鉄道と接続される場合が多い。この場合、障がい者が乗換えるにはエレベータやエスカレータが適当であるが、その設置空間が十分無く、階段通路に沿って移送レールが苦し紛れに設けられているものの、扱いの不具合さに耐えかねて不使用の場合が多い。また障がい者通路が後付けのため不本意に長い場合が実に多い。

駅員や運転手による 障がい者の乗降の補助
 日本では路線バスへの障がい者の乗降は運転手が補助し「渡り板」を手動で昇降口から出し入れしているが、欧米では全自動で昇降口の「床板」が運転手のボタン操作で上下する構造になっている。鉄道車両への障がい者の乗降も、日本では「障がい者からの連絡」により駅員が職務室や改札から「渡り板」を持って車両の乗降扉まで運び、「障がい者の車椅子」を誘導する。最近、車椅子に乗った障がい者が列車の傾斜があるホームから線路に転落する事故は殆ど報道されなくなった。それは大都市圏で鉄道駅ホームに乗降柵が設けられたことにあるが、十両編成の列車では四十箇所に自動開閉扉を設ける必要があり、膨大な費用がかかる。このような安全柵を駅間隔が短い鉄道路線の全線に取り付けることは、鉄道会社にとって大きな負担となる。


Vol.231 -- 2019 年 07 月号

 

第百二十二回 バス停留所には名前がない

カリフォルニアの交通事情
 米国の常識は日本の非常識か。今回は、米国カリフォルニアの路線バスのお話をしよう。サンフランシスコからサンホセまで、大体百キロくらいと思うが、北から南へ三つの郡(サンフランシスコ、サンマテオ、サンタクララ)がある。サンフランシスコ空港とスタンフォード大学は、サンフランシスコ湾入り口内から南下する湾内に沿って、それぞれ二十五キロ、五十キロくらい南にある。シリコンバレイは湾南が閉じ、湾南のパロアルトと対岸のフリモントからサンホセを越す馬蹄形の工業地帯を言う。
 シリコンバレイに勤務する殆どの勤務者は、自分の車で通勤時間一時間以内の場所に住んでいる。路線バスの乗客の多くは三、四十分間の乗車をする学生や老人や低所得の労働者である。ここの路線バスはサンフランシスコ市内以外では通勤通学時も満員になるときは少なく、州や自治体の社会事業と言うほかない。でも通勤時間帯には高速道路が自家用車で混雑する。日本のように雇用者が従業員に交通費を支給する制度が米国にはなく、遠くから通勤することは少ない。


バス停留所の名前と時刻表
 米国の路線バス停留所は、バスが「走る通り」とこれに「交差する通り」の名前の対で表わされる。日本のように、「病院前」のように施設名を使うことはないので、停留所には名前がない。路線バス標識には、路線名と停留所番号と問い合わせ電話番号が表記されているが、時刻表はない。日本のバス停留所の時刻表やQRコードは技術発達の恩恵であり大変便利だ。しかしスマートフォンでウェブ検索すれば、時刻表は見ることが出来る。 

路線バスの運賃
 サンマテオ交通局の運賃は大人、小人と割引(障害者と年長者)がそれぞれ、二ドル二十五セント、一ドル一○セントである。バレイ交通局の幹線は二二号線と急行五二二号線の二十四時間サービスで運賃は大人、小人、割引がそれぞれ二ドル五十セント、一ドル二十五セント、一ドル、急行運賃は、それぞれ五ドル、一ドル二十五セント、一ドルと言う値立てになっている。急行路線の停留所は普通路線の三分の一位になる。 

乗車時の運賃支払い
 路線バスの運賃支払いの第一は「パスモ」のような「電子カード」、第二は車内でも発行する「一日カード」、第三は乗車時の現金清算を「つり銭カード」で行う方法だ。運転手が乗客に「現金のつり銭」を渡すことはない。
 障害者も年長者も厄介な「割引申請」をせず、乗車時に自己申告で小人と同じか低い運賃を払う。米国では「年長者とは六十五歳以上」だが、運転手は証明を求めない。大切なことは、割引を受ける乗客も運賃を負担することなのだ。日本の「割引乗車証制度」では、独立法人を作ることの余計な政府の金がかかる。年長者の運賃支払いが認知症予防に大きく役立つ。


交通機関への自転車の積込
 カリフォルニア州では環境保護と健康増進のため、公共交通機関の車内へ自転車の持込みを許している。サンフランシスコとサンホセ郊外を結ぶカルトレインは、二階建て六両編成の客車の先頭車が自転車持込み車両になっている。路線バスではバスの最前部に自転車をくくり付ける支持具が二台分付いている。当然ながら、カルトレインのパロアルト駅からスタンフォード構内に行くシャトル(送迎バス)は、自転車を運んではくれない。 

障害者の乗降
 米国の路線バスは日本に比べるとかなり大型で、障害者のための乗り口昇降装置が各車についているから、日本の路線バス運転手のような苦労は無い。運転の面でも昔から「自動変速」が付いているので、スクールバスなどの女性運転者の負担を減らしてきた。一方、「下車ブザー」などは無くて、大昔日本にあった「都電の引き綱」と言う、鋼鉄製のひもを手で引いて鈴を鳴らす。何か原始時代に戻った感じだ。路線バスは片側二車線以上の道路を走るほか、歩道に十分な幅がある場合は、風雨よけの囲み(壁に全線の路線図と他の交通との接続情報も貼ってある)と堅牢なベンチや大きな円筒型のごみ入れも置いてある。 

運転手と乗客との会話
 車内には優先席の説明などを英語、スペイン語、ベトナム語等で明記してある。前扉から乗って運賃を払い、後扉から降りるのが原則である。
 運転手には顔見知りの乗客が沢山いるらしく、大声で日常会話をしている。でもバスは日本のように商業広告を流さない。乗客の多くは下車のとき、ありがとうやさよならを言うのが普通で、人間味を感じる。運転手は「毎度ご乗車有難うございます」を決して言わない。日本の運転手は、交通企業の営業もするのかな。 


Vol.230 -- 2019 年 06 月号

 

第百二十一回 白タクと民泊のシリコンバレイ

 現在世界中に広がっているウーバー(白タク)やエア・ビーアンドビー(民泊)などは、米国サンフランシスコ地域で始まった商売と言われる。すでに開業して十年以上も経ち、利用客は世界に拡大している。日本では白タクや民泊という商売は既存産業を保護の名目で規制が厳しい。私の友人は頻繁に日米を往復する。彼はサンフランシスコ空港から二十五マイル(四十キロ)ほど離れたパロアルトに住むので、自宅と空港の間の交通機関としては高価な順に、タクシー(八十ドル以上)、シャトル(三十五ドル程度)、鉄道とバス(十ドル以上)、友人による送迎がある。友人による送迎以外は、予約や公共交通の間隔で時間が拘束される。彼が言うに最近はスマートフォンの地図上でウーバーの予約が便利で安価だ。 

 私は日本からシリコンバレイに旅行したとき先月初めてエア・ビーアンドビーのウェブに表示される民泊を利用した。気候が温暖で快適なカリフォルニア州には米国内からも海外からも多くの人々が旅行するため、ホテルなどの宿泊費は夏季に高騰する。一例として、昨年十一月に一泊五十ドルだった空港付近のモーテルは、今年六月には百ドルでも部屋が無い。観光で繁盛するサンフランシスコから車で一時間ほど離れたシリコンバレイ地帯には、特別の観光場所は無いものの、ビジネスホテルは表向き百五十ドルでは泊まれない。これに比較すると、自宅や別棟を民泊にしている場合は、一泊が数十ドルから宿泊できる。 

 この四月初旬に二週間後のシリコンバレイ旅行をする準備を始めた。ユナイテッドの航空券は十万円ほどで手に入った。今回はエア・ビーアンドビー組織の民泊を五泊予約したが期待した交通の便が良い一泊五十ドル以下と言う宿は探せなかった。安い宿は二ヶ月ほど前に予約が必要と言う。エア・ビーアンドビーには日本語対応のウェブがあった。地域のグーグル地図上に宿の印が付いており、拡大すれば地番や宿の外見写真が見られる。私は自分の車をパロアルトの友人宅に置いているので、となり町のマウンテンビュウの宿を選択した。パロアルトはスタンフォード大学がある人口六、七万の東京本郷のような町、マウンテンビュウは人口七、八万でNASAや海軍の飛行場があり、グーグル本社その他がある町だ。 

宿泊する家は以前私が家を持って住んでいた近くなので、バス停留所や店など街の様子は熟知している。その家はエルカミノ通りと湾岸道路の交差点から分岐したミラモンテ通り沿いの小学校の向かいに建っている。その家は二軒長屋で私が宿泊する棟には部屋が三つあり、すでに二部屋は二人の男性が宿泊していた。家の内装から七十年位前に建てられたらしい。毎日の様子からこの二人の男性はシリコンバレイに来て働く技術者だということが分かってきた。二人にテレビを見たり談笑したりしている様子はない。その一人はトニーと言い身体は大きく口数が少なく、ペンシルバニアから来てグーグルでソフトウエアの仕事をしているという。夜中働いていることもあり、週日なのに部屋に居ることもある。二人とも冷蔵庫に多少の食べ物を入れているくらいで、基本的には外食の模様だ。もう一人はベンと言い、やせぎすでかなり若いようでレンタカーと見られる白い車を使っており、私が着いて三日ほどで引越した。そしてトニーも四日目に友人のところに合流すると言って引越して行った。最後の二日、私一人だけがこの家の住人となり、次の宿泊客は来なかった。 

六十年ほど前米国でトランジスタが実用化されたとき、ここに多くの半導体工場が建てられ、シリコンバレイは産声を上げた。半導体の生みの親であるショックレイはトランジスタ工場を建てた。それ以来、多くの半導体企業と次々と新しい先端産業が誕生した。初期にはハードウエア開発が中心、近年はソフトウエア開発やDNA研究と有能な科学者や技術者が来るため、不動産が不足して住宅やアパート家賃が上る。しかし環境と住民生活の保護のため、日本のように次々と高層住宅を建てることはしない。シリコンバレイのハイテク労働者は、エア・ビーアンドビーが提供する、より安価な宿を一時的な居住地として移動する。こうすれば日本のように空き家が増えることも無い一方、民泊の規制は大幅に緩和する必要がある。私がマウンテンビュウの一軒家は、二〇〇七年に八十万ドルで売ったが、二〇一四年には百二十万ドルに値上がりした。平均年率七パーセントで値上がりしたことになる。その頃、地域のアパートの家賃は、平均でも千五百ドルくらいだったから、一軒家を借りて家賃を部屋割りする傾向は強まる一方だ。 


Vol.229 -- 2019 年 05 月号

第百二十回 古筝のお里帰り

古筝の響き
 時は明治十七年、水戸徳川藩主の徳川昭武公は、江戸時代に幕府の天領であった千葉県松戸の戸定(とじょう)と呼ばれる小高い丘に屋敷を開き三十二歳で隠居した。実は昭武公は地元人に案内され、富士山を西に望み江戸川を見下ろすこの地が大層気に入っていた。昭武公の嫡子武定(たけさだ)公が明治二十一年に生まれ、四人娘の一人が今回の古箏の持ち主の直子おば(美作(みまさか)津山松平家へ嫁ぐ)である。直子おばの三人娘の一人である華子おばは、直子おばから受継いだ古筝を今回松戸市に寄贈した。専門家が見たところ、家紋を刻んだ桐箱に収められたこの筝は、十分演奏できると言う。そこで平成三十一年三月十日、戸定邸表座敷、三十畳余りの広間で東京芸大出身の演奏家二名によりお披露目をする次第となった。 

 当日の箏曲演奏には四曲が披露された。とくに二曲目は松平直子おばの筝で独奏され、他の三曲は二人の奏者の箏で合奏された。当日は午後一時と二時半の二回に同じ曲目の演奏が行われ、各回三、四十名ほどの視聴者が身近で箏の音色と演奏を楽しんだ。日頃から音楽に親しんでいる私にとって、和室での筝の響きは、音楽ホールで遠方から視聴する演奏に比べ、音量も十分大きく、奏者視聴者の一体感も盛り上がり、まことに心地が良かった。当日この古筝は、通常よりも太い弦で張られていたためか、より力強い音が鳴り響いた。このような畳の間で和楽の演奏を聴くのは中々良いと感じた。予定の演奏のあとアンコールに西洋音楽の楽曲が演奏された。そのときは琴柱(ことじ)を移動して西洋楽曲の音調に調整にして演奏された。筝はハープのように響きわたり、私はいつも聴く調子の音楽を聞くことが出来、また感動した。 

 掲載する三枚の写真の説明は以下の通り。第一は松戸市に寄贈した古筝、第二は古筝のお披露演奏の様子、第三は徳川昭武公が背負い篭に童子五人を入らせ立居を演じさせた当時の写真である。この写真は米国製コダック写真機で明治三十九年(一九〇六年)に撮影された乾板写真で、右から二番目に帯が見えている女の子が直子、後列左端で顔の上半分が見え後ろから背負い篭の柄の上部を握っているのがその妹の温子(はるこ)である。他の子供たちは当時の戸定邸に住む遊び仲間(奉公人の子供たち)らしい。この写真は通常は打ち解けている「がきたち」が、昭武公の指図で演出をさせられ緊張しているのが見え透いていてほほえましい。背負い篭の周辺にだけ落葉が集まっているのも、昭武公の演出指示らしい。 

古筝
松戸市に寄贈した古筝
お披露演奏
古筝のお披露演奏の様子
昭武公撮影
昭武公撮影かごの子供たち


Vol.228 -- 2019 年 04 月号

 

 

第百十九回 改元大休日を考える

 安倍政権の閣議で決定した「改元十日間大休日」は、大きな波紋をよんでいる。第一は公共サービス事業の「要員確保」、第二に災害発生に対する「救助計画」、第三に「内閣独断による大休日決定」などであろう。 

改元大休日の効用
 今回の「改元大休日」では四月二十七日から五月六日までの連続十日間に及ぶ祝日休日が実施され、その期間、公共サービスの現状の操業維持が困難と予測されている。内閣府は国内のサービス事業に対して通達を出し、国民の生活に不都合が生じないよう協力を要請するとしている。この実施を、又とない「大災害に対する実験」と見る筋もあろう。しかし、今回の「大休日」では、直下型大地震、サイバー攻撃、細菌攻撃、原発災害、大火山爆発、ネットサービスなどにより生じる「生命線(燃料、水、電気など)の分断破壊」は起らないため、これらの最も危惧するべき災害に対する、防備耐力の実験にはならない。

 日本の大都会は、米国の大都市であるニューヨークやシカゴのような二十四時間の都市活動はない。一方、燃料、水、電気などの供給の断絶に対するサービス活動の「時間許容度」は数日程度が限界だと思う。したがって、日本全体が十日間の祭典休日に置かれると、通常の都市機能は持ちこたえられなくなるだろう。 

日本人の休暇取得
 最近は多少改善されたとは言え、日本では被雇用者の基本的権利は十分守られていない。とくに労働環境では、「労働時間」と「休暇取得」が日本では無視されていることが多い。この二つに加えて「賃金」は、雇用契約を結ぶときの基本的要素である。これが守られない最大の原因は、雇用者にも労働者にも労資契約概念が希薄なことである。神の下で人間は平等だと聖書に謳われている欧米キリスト教社会でさえ、雇用者より労働者の立場が強くなったのは、十九世紀後半の産業革命のあと、労働組合が出来て労働者が集団として雇用者と労働条件を交渉する権利を獲得してからの事である。

 おしなべて、日本で働く者の労働時間や休暇取得の契約が守られない現状に対して、政府は「年間の連休回数」をどんどん増やし、その前後に有給休暇をつなげることを奨励している。昨年は、三日以上の連休が十回あった。有給休暇の日数は、日本では現在法定で十日あり、勤続年数により増加する。国家祝日十五日の日本と、年間十日前後の国家祝日でも長い有給休暇が取れる欧米とを比較すると、休暇のとり方に関して、「個人の自由の尊重」の度合いが異なると言わざるを得ない。世界的に国民が長い休暇を取る時期は、国の伝統的な宗教の行事と、独立や建国記念日であろう。日本では年末年初と盆に長い休暇を取って生まれ故郷に帰る習慣が定着したが、収入格差と情報革命の影響でこの習慣が崩れつつある。米国は、独立記念日、感謝祭、クリスマスを中心に長期休暇をとる人が多い。そのような休暇に旅行者は激増し、飛行場には長蛇の行列ができる。米国の国内便は国際便のような大型機は一般には使用しない。その点では、日本の新幹線一列車の輸送能力は大型ジェット機の五倍分も相当する。東海道新幹線の列車は十分間隔ほどで運行されるが、米国の航空便は平行に飛ぶ便を入れても数十分おきにもならない。東京の山手線や地下鉄は、少なくとも数分おきには運行しているので、世界一多くの人々が移動することになる。 

長いものに巻かれる
 中国文化の強い影響を受けた日本では、孔子の説く儒教が道徳の基本になり、現在も社会での立場(年齢、立場、男女、官民など)による上下関係の優位差が色濃い。太平洋戦争が終わって七十年以上も経つと言うのに、有給休暇は相変わらず「取らせていただく」と言うのが日本の常識だ。日本では今なお、労資の雇用契約は実効的には平等ではない。私が非常に残念だと思うのは、政府と国民が交わす書類に使用される用語は、明治時代と変わらない「官尊民卑」を表すものが多い。例として、「納付」、「還付」、「交付」、「返納」に始まり、明治時代の文面が残る六法全書などには随所に見られる。民間人が作成する法的書類には「収入印紙」が必要で、政府が発行する書類には収入印紙が不要なのも「官尊民卑」の名残だ。現在の議会で使用される「議会用語」も古さの証である。共に近代化が望まれる。


Vol.227 -- 2019 年 03 月号

 

 

第百十八回 働き方改革の成否

 二〇〇六年に発足した安倍内閣は教育基本法改正を残して敗退、二〇一二年民主党の敗退で捲土重来と返り咲く。その間、営々と積上げた内閣人事局構想が二年で稼動し、官邸は官僚幹部の人事権を手に入れた。すなわち官僚が閣僚に忖度する地盤が出来上がった。官僚の頂上に上り詰めるには人事院ではなく官房政治の舞台で認められる必要がある。これが数年来、森友学園と加計学園の便宜と言うことで財務省や文科省が取りざたされた元凶になる。  一方、厚労省の所管による毎月勤労統計で、本来のデータ収集とその範囲やその統計処理手法が歪められた作業が始まったのは、調査によると十数年前の小泉政権時代と言われる。昨年末、安倍政権に対する国会質問から統計作業の実態が発覚した。国会の質疑を視聴していると、動的に変化する環境の中で調査対象の経済活動を統一的に把握することは容易でないと思われた。国会で質疑を行う双方が、状況を適切に理解しているとは思えない。 

働き方改革の行く末い
 本来被雇用者を法的に保護し権利を守るはずの「労働基準法」が遵守されていない。「労働基準法」に理念が記述されても、実施する段階で、正規採用の労働者以外の、派遣労働者、随意労働下の専門職労働者、勤務医師(平均月間時間外上限百六十時間)に対する労働時間上限や有給休暇の条件が、労働基準法で定める条件から外れている。無理は長続きしない。 

 私が米国で三十年間現地従業員として働いた経験でも時代と共に雇用契約が変遷してきた。一九九〇年頃には米国のIBMやヒュレットパッカードのような経営が安定した先端技術大企業が、景気の急激な変化のため、社員を定年まで雇用し続けるのが不可能になり、「永久雇用」と言う言葉は消えた。米国では雇用者側に立つスタッフは年俸制、一般職は時給制で働き時間外は別に支払われる。年俸制は会社福祉が付くが時間外賃金はもらえない。時給制は会社福祉が無いが組合が支援する。そのほか契約社員(コンサルタント)が高い時間給で雇われるが雇用者からの福祉はない。米国では労働組合は技能者が組合員で、雇用者と団体交渉をし組合員の賃上げ交渉をする。しかし年俸者には雇用を守ってくれる支援は無く、上司とパーティなどでうまく付合い、雇用を保つ努力が必要になる。しかし日本のような赤提灯の上下関係は無い。米国では雇用と解雇は日常茶飯事になる。 

米国の労働力不足
 一九六〇年代までは米国の人口の八五パーセントは白人で残りの殆どは黒人だった。ベトナム戦争の頃、米国では消費活動や黒人を中心とする民権運動も盛んになった。米国でも個人用コンピュータや電子製品が量産され、生産労働力が不足するようになって来た。一九八四年頃になると移民法を改正して、安い労働力を移民に頼るようになり、不法移民も余りとがめなくなった。そのため、メキシコや中南米からとアジアはフィリピンからの移民が激増した。日本人も相変わらず良く働くので、米国政府の日本人移民割り当て数は多かったが、応募は殆どが女性で、この数に満たないことが多かった。 

 トランプ大統領の祖先は白人移民で、東部や中西部に住む、技量が低い不満な白人たちを取込めば大統領選で優位に立てると思った。過去には白人であれば容易に移民できたが、現在は技量が無ければ難しい。トランプ大統領は輸入を減らし、その分米国内生産を増やすと言うが、国内生産は高価で割が合わない。それでもと言うならば、莫大な投資をしてロボット生産をするしかない。すでに自動車工場ではこれが進んでいる。米国も高齢化社会で、金がある老人たちは介護施設で主にラテン系人女性(北中南米出身者)の介護職の世話になる。米国の白人たちは介護産業で働きたがらないから、彼らに仕事は無い。米国が金を稼ぐには、他の国に戦争を仕掛けたり、高価な武器を売ったりするのが手っ取り早い。それか他国に出かけて行って金融や保健サービスでもやるのが手っ取り早いかもしれない。 

多様な働き方
多様に働き、労働条件も健全に守られると言うのが次世代の働き方だと思う。実態労働もよし、ネット労働もよし。価値を生み出せるなら、対価を与えられるべきだ。柔軟性ある働き方を欧米に学ぶべきだ。
我々日本社会に足りないのは契約概念、これが守れる国の法制度も不十分だ。日本は原発の輸出だけはするべきでない。我々人類は、放射能を御する技術を十分持っていない。


Vol.226 -- 2019 年 02 月号

 

第百十七回 ずさんな政治の常態化

 ずさんな政治の常態化はますます広がっている。昨年は第一に森友と加計で文科省と財務省、第二に安倍政権の三本の矢であると言う「働き方改革」の労働時間で厚労省がやり玉にあげられた。今年は新年から厚労省が「勤労統計のデータの作為的集計方法」が暴露された。この勤労統計は全国の事業所から月毎に支払賃金の実態を報告させるもので、政府の社会保険給付を決定する重要な情報で白書に公開される国力を評価する情報でもある。古くは大正時代から始まったが、大都市である東京の五百人以上の事業所のデータが意図的に三分の一しか計上されなくなったのは十五年前来の構造改革を掲げた小泉内閣時代にさかのぼる。さらに十二年前の第一次安倍内閣時代には旧社会保険庁が日本年金機構へ移行したため五千万件のデータが消失したと言われ、「消えた年金記録事件」が起こったばかりか、納付された年金の掛け金の改ざんも発覚した。現在も約二千万件の年金記録が不明と言われている。
 安倍政権の「働き方改革」では、「勤務医の時間外労働規制」について、とくに地域医療で医師不足のため、「労働基準法改正」として今後五年間過重労働の猶予期間を設けると言うのだ。安倍政権の「働き方改革」とは、すでに高収入の特殊職業に対して労働基準法が労働者を守る規制を取り外すと言う憲法違反をやってのけたばかりである。私が「ずさんな政治」と言っているのは、「医師不足」は十年以上も前から分かっていたことであり、医師養成と政府が意図的に地方配分する程度のことに困難はない筈だ。日本はずさんな政治による労働基準法の「改悪」が雇用者側の都合によって法律を書き換え、常に労働条件を低下させているが、こんなことでは先進国とは言えない。
 すでに与党のごり押しで、外国人労働者の受け入れ拡大に向けた在留資格新設を柱とする入国管理法の改正案を閣議で決定したが、開発途上国の職業訓練実習生を「実習」と称して悪い労働環境と低い賃金で雇用し雇用者が宿泊費と食事代などを徴収して利益を上げている例が氷山の一角として実習生側から訴えられている。開発途上国から日本へ送られてくる実習生たちは、もともと裕福な家庭で育ったわけではないので、日本語の学習やそれぞれの実習のための予備知識を学ぶために、多額の借金をするのが実情のようだ。日本政府は、このような外国人の若者に対して、職業訓練を次のような条件で実施するべきだと考える。
 第一はこの類の職業訓練を外国人に対する「施しや恩義」と考えずに「運が良ければの投資」と割り切る必要がある。もちろん民間人が代行しても良いが、全ての不正を防ぐために、手間はかかるが、政府や地方自治体が実習生に直接、接する必要がある。そして手続きや管理の書類は人工知能を駆使して常にデータ管理できるようにする。第二は日本語の学習費用は「日本政府が全額支払う」べきだ。私が住む東京の新宿付近には、外国人目当ての日本語学校が沢山ある。まるで外国人を餌にたかる鷹のように見える。私は米国カリフォルニアで留学生生活をしたが、現地には有料の語学学校もあるし、小遣い稼ぎの家庭教師もいる。しかし州の教育委員会は成人学校を開き、州が認めた英語教師が、州から賃金をもらって、外人たちに無料で英語を教える。日本政府に日本語教師を雇う費用が捻出できないわけがない。第三は外国人が「職業訓練を受ける」ことと、農場、漁場、工場、医療機関などの「働き手が不足する事業所で働く」こととは別だと割り切る必要がある。これを混同することから、労働条件が悪いとか、賃金が低くて奴隷労働だとか言う不満が出る。日本の事業所が外国人実習生に直接賃金を支払う制度はよろしくないし、事業者は支払う賃金をごまかしても、訓練生が泣き寝入りするしかないのはよろしくない。訓練生と事業所とのもめごとは、すべて報告させるように管理する。第四は事業所によって、必要な日本語の程度は違うが、将来日本がもっと国際的になることを望むならば、「外国人用の簡略日本語」を開発する必要がある。外国人にとって日本語の最大の難点は、「敬語」、「多種類の文字(二種類の仮名、アルファベット、漢字)の使分け」、医療や介護現場で使う「難解で字が難しい用語」などである。いつも私が思うのは、日本語は外国人に対して要求が多すぎる言語だ。 


Vol.225 -- 2019 年 01 月号

 

 

第百十六回 世界を制覇するのは物財国か情報国か

 世界の各国の経済指標は国民総生産と一人当たり国民生産で表される。前者は国としての経済規模、後者は国民一人当たりの生産である。人間は昔から様々な物財(商品価値がある物、ハードウエア)を生産してきたが、重さや大きさ当りの価値が高価な物は「単価が高い」と評価されてきた。これに加えて、人間の生活には様々なサービスや知的財産(情報やデータ、ソフトウエア)も欠かせない。農業国とか工業国とか呼び方は、その国の生産がハードウエア(もの)であると言う認識である。オーストラリアやブラジルは農業国であり、日本や韓国は工業国である。一方、情報国と言う私の勝手な呼び方は、その国の生産でソフトウエア(サービスや知的財産)が事業としてより大きな比重を占め、これこそが二十一世紀以後の価値が創成される源泉である。従来、西欧の小国には情報国が多いが、コンピュータネットワークを駆使した情報国と言えば、伝統的にはコンピュータを駆使している米国と最近の中国と言えるのではないか。 

 現在の国民総生産から見ると、米国と中国と日本は約三対二対一、人口比(億)は約三対十五対一である。世界制覇には、国力や武力だけでなく人口も必須と考えられてきた。中国はWTO加盟以来、輸出型経済に入り毎年六%以上経済成長している。中国は一人っ子政策により老年人口比率が日本と同様増加している。一帯一路政策により発展途上国を植民地化し、世界中に中国人をばらまき、東太平洋を無法占領し、地球上の資源獲得を始めた。中国共産党独裁による監視社会に対して国内暴動による中国の瓦解を防ぐため、防犯カメラの映像と携帯電話メイルから、コンピュータを駆使して国民を監視する。 

米国と中国のせめぎ合い
 米国のトランプ大統領はかねてより、中国に対して米国が貿易赤字であることと米国のハイテク技術を不当に使用したと不満を露わにしていた。もう十年以上も前から、米国カリフォルニア州シリコンバレイには、中国ハイテク企業が次々と上陸してきた。マウンテンビュウのモフェットビジネスセンタにアリババグループのデータセンタが新築され、サンマテオにも最近大きなデータセンタが建設された。隣町レッドウッドショアには、米国最大のデータベイス企業オラクル本社がある。この十二月に入って米国政府は中国の巨大通信企業フアウェイの活動に危惧を表明した。十年ほど前に日本電気(NEC)が閉鎖したシリコンバレイの半導体工場跡に開いた、同社の施設が見える。
サイバーとはコンピュータやそのネットワークに関連すると言う意味、ハッカーとは違法なコンピュータ侵入者のことである。米国で一九九〇年頃、米国のコンピュータおたく少年が政府機関のコンピュータに違法に侵入したとニュースをにぎわせた。米国ニューメキシコ州の原子力研究所の所員であった台湾出身の所員が原子爆弾の機密情報を盗んだと報告されたこともある。二〇〇〇年ごろになると日本の防衛省や防衛企業のコンピュータに中国から違法侵入されたと言う事件が何回か起こっている。
中国通信企業フアウェイは、米国政府の物品調達に対して納入者になる申入れを数年前に行ったが、米国政府はこれを却下し、フアウェイは理由がない差別だと反抗していた。今週、米国政府はカナダ政府に対して、カナダに在住しているファウェイの女性副社長を不法活動の理由で拘束請求したが、彼女は多額の保釈金で解放された。何と中国と香港政府発行のパスポート合計七通も所持していたと言う。彼女の父親は元中国人民解放軍の幹部で、ファウェイを設立した大物らしい。米国やカナダ政府の処置に対して、中国国内では、いつものように政府の指導による製品の不買運動に火が着いたもようだ。ファウェイが米国政府調達の業者になることを米国政府が阻止したのは、リスク回避として自然な反応だ。それを許せば、機密情報が国外の装置へ送信される危険を生じる。
世界のドローン市場で販売されているドローンの七割は中国製だと言われている。米国や日本で違法に収集した軍事や技術の情報を符号化して国外に送信しても、それを発見できない可能性は高い。折しも本日十二月十七日のテレビニュースで、日本の携帯電話市場に製品を売込んでいるファウェイは、新機種を発表した。日本製の携帯電話が市場から消えて久しいが、部品だけは世界中に供給している。 


Vol.224 -- 2018 年 12 月号

 

第百十五回 資源の有効利用と適切な廃棄処理

 発掘により資源の埋蔵量が減ると、発掘の費用が増加する。経済的に見合わなくなれば、代替資源を発掘するようになる。地球圏外への脱出に成功した人類は、太陽系の惑星の資源探査のために人工衛星を飛ばして宇宙の物理を解明し始めた。惑星の領有権と資源争奪戦もすでに始まっている。ロシアが半世紀も前に打ち上げた宇宙船で宇宙環境の研究が進み、ロボットを送り生物や資源の探索も始まっている。一方、半径六千キロもある地球の内部は海底十キロ以内しか到達できず、それ以上は超音波反射による観測しかできていない。 

消費王国と浪費王国
 世界の消費王国は資源も豊かな米国で、浪費王国は資源に乏しい日本だと感じている。IMFによると、二〇一八年予測の日米の国民一人当たりの名目GDPを比較すると、日本は年間四万米ドル、米国は六万米ドルとなる。ちなみに、中国は一万米ドル以下、ドイツは四万三千米ドルとなっている。
 米国は移民の国であるが、国内で貧富の格差が大きい一方、私の三十年の滞米生活の観察では、不要品再利用率が日本と比較すると高いように見える。米国と言う国は、ごくわずかな大富豪と一握りの優秀な人材により動かされている国であるが、元々貧しい移民で成長した国であるため、現在も昔を忘れない倹約の精神が旺盛である。日本も貧富の差が大きく、農水省によれば年間千七百万トンの食品が無駄に廃棄される。日本人は潔癖性なので中古商品の再利用率が低い。
 太平洋戦争中に育った私たちは、軍国主義の侵略戦争のため物資が不足し、親族からお下がりと言って衣服をもらって使うことが多かった。太平洋戦争後の経済成長期に、安い家具を買って使い引越の時に捨てて行くと言う生活容態は、日本のアパート住人にとっては見慣れた習慣であった。日本の貸家やアパートの畳ふとん生活では、押入れに布団を収納するので、この収納空間が無駄になり室内の家具が多かった。最近はベッドと作り付けの収納空間の生活に移行している。 

売切りから賃貸や共用へ
 我々日本人は、他人から物を借りるより新品を買う方が普通だった。品物を扱う店も月賦や賃貸するよりも、一回で全額支払いの現金売り切りを好んだ。しかし現在のように車にいろいろな犯罪が多くなると、自分の車の管理も難しい。車を頻繁に運転しない大都市の人々は、必要な時に賃貸しを利用する方が、維持の手間も費用も少ないことに気がつき始めた。車の使用状況は人々の仕事の仕方や住居状況により大幅に異なる。社宅やアパートで近隣に住んで車を共用する人々も増えている。車の共用仲間は、車検や修理や駐車料金や清掃などの負担を分け合い軽減される。現在の私は完全に公共交通に依存する生活をしている。自宅から最寄り駅へ行く目的で使う自家用車の年間維持費などを三十万円とすると、その距離のタクシー料金を千円として、タクシーを年に三百回乗り降りできることになるから、公共交通の方が圧倒的に安い。 

プラスチック廃棄物
 買った食品の透明プラスチック容器やポリ袋が普及し始めたのはベトナム戦争あとだ。それ以前は経木、筍、皮やハトロン紙、古新聞紙などポリ袋の代りに使われていた。ここ十年以上テレビで大洋沿岸に大量に廃棄漂着しているプラスチック容器と「ポリ袋」の映像が報道されており、アジア大陸東部で大量廃棄されて日本近海へも漂着している。自然界へ廃棄された石油系プラスチック製品は、鳥や魚に呑込まれても消化されず、海中へ散乱した石油系プラスチック微粒子が生体内に残留して遺伝子に異常を生じると危惧されている。地球の気象と地理に大きな変化を及ぼす地球温暖化は、高度経済成長と豊かな社会による畜肉需要の増加による温暖化ガス(炭酸ガスやメタンガス)激増が原因とされている。そうであれば、世界各国が温暖化ガスの減少に向けて協力することが必要になる。
 欧米では数十年も前から、ポリ袋やポリ容器を回収し環境汚染を抑制した廃棄処理をし、買物には自分の布袋を使うよう呼び掛けている。しかし物の受渡しに「何でも箱や袋に入れる習慣」がある「世界の包装王国」日本では、ポリ袋節減運動は中々協力を得られてない。最近は植物又は生物由来のプラスチックで作ったポリ袋が生物に害を及ぼさないと言われているが、まだ製造価格が高いのでなかなか普及していない。
 工業生産規模が大きい国では消費も旺盛であるため、温暖化ガス発生量を減らす発電方法と石油由来のプラスチックの生産を削減したり廃棄処理を開発して実行することが重要だ。 

Vol.223 -- 2018 年 11 月号

 

 

第百十四回 カタカナ外国語単語の氾濫

日本の文字文化
 古代日本の王は中国の後漢書にも記されている。日本の古墳は西日本を中心に東北地方中部まで三世紀頃から七世紀頃まで作られた。四世紀には中国東北部の高句麗や朝鮮半島の百済と新羅から多くの人材が技術や文化を持って来日したが、日本のヤマト政権の文書作成を担当したのは彼らだった。日本の地名や人名は「漢音」を使用して漢字で書かれるようになった。八世紀初めに二つの歴史書が編纂された。古事記は漢字の音訓を使った万葉仮名を使って書かれた日本文で、日本書紀は漢文で書かれた。数十年後の八世紀半ばには、万葉集も万葉仮名で書かれている。九世紀には万葉仮名から平仮名が、漢字の一部を使った片仮名が表音文字として普及し、十一世紀初めには定着した。この平安時代中期に源氏物語は漢字と平仮名交じりで書かれた。日本人は、漢文を理解し、片仮名と平仮名を表音文字として使うに至った。江戸時代の後期に幕府の遣欧米使節団が学んだ結果、明治維新で西欧文化による近代化政策が推進され、国際間で盛んに人事交流が行われるようになった。日本語のローマ字表記も検討されたが、軍事政権下にあるため否定された。しかし、太平洋戦争後までは、外国事物の表記は主にカタカナで、それ以外にはカタカナと平仮名が標準的に用いられるようになった。しかし公用文書には漢字とカタカナが使用された。 

外国語単語の積極的な取込み
 すでにわれわれが「使っている単語がある」のに、その外国語単語に「別の意味を与えて使う」ことも増えてきた。例えば、第一の例として、「牛乳とミルク」は、前者が店頭商品やその中身そのものなのに、後者は飲食店でガラスのコップに入れて温められ砂糖まで加えられたものを指すことがある。でも正確には、両者に差はないはずだ。第二の例は、「領収書とレシート」で、前者は宛名を明記し金額の受取人の名前と押印をしてあるものを言い、後者は金銭登録機が印字した宛名がない収入記録を言うらしい。欧米では税務上もこの両者に差はないが、日本では後者は通用しないらしい。第三の例は、ここ七、八年報道機関が誤解して使うようになった、「言う」と「コメント」の意味の混同である。三省堂の英和辞典では「コメント」の意味は「注釈する」、「批評する」と言う意味で、単なる「言う」と言う意味はない。ましてや、自分のことをコメントするなどとは言わない。テレビで報道が間違って使用したのを、みんながまねしている。 

カタカナ表記の氾濫
 カタカナ化した外国語単語の使用は、日本の欧米指向の結果、増加の一途にある。マニフェスト、ガバナンス、ピンポイント。ワンストップ、コメント、インバウンド、リピータ、フルネーム、コンセルジェ、カミングアウトときりがない。こんなに多い外国語単語は、誰が広めたのか、本当に必要か、正しく使われているか。リピータ(中継装置)、インバウンド(外国へ行く客が国内向けを指定する)等には、現在日本で使う意味は見当らない。「姓名」と言わず「フルネーム」となぜ英語で言うのか。新しいのは、「インクルーシブ」と言う英単語で、本日のテレビニュースでは「障害のあるなしにかかわらず…共に同じ内容を学ぶインクルーシブ教育…」この単語の意味は「包括的」だ。なぜ日本で適切な新語を作らないのか。
 言論の自由だ、どんな言葉も使う権利がある、それもごもっともさま。でも「ワンコイン」も「ワンボックスカー」も英語人(日常英語を使用する人)には理解できない。英語「ペニー」は我々日本人には聞きなれないが、英語人が使う意味は、英貨一ペンスや米貨一セントのことだ。我々日本人は休む暇もないほど忙しい。だから、正しい日本語を知っていても、言いやすく短い外国語単語があれば、躊躇なしにその外国語を使うようになった。しかし多くの日本人が伝統を守ることが重要だと考えるならば、既存の日本語を使った方が良いのではないのか。どこの国でも俗な用語は数多ある。しかし欧米人は、我々日本人のように、「短縮語」で「原語」がどんどん駆逐されたり、意味もわきまえないで次々と「外国語」の語彙を増やすことはしない。それは一例として、ニューズウィークなど米国の週刊誌に使われている単語を見ればすぐわかる。日本語をもっと大切にしよう。 

先月号記事の訂正とお詫び
上段第一節の最後から四行目「就職が困難な雇用者」を「就職が困難な被雇用者」と訂正します。 


Vol.222 -- 2018 年 10 月号

 

第百十三回 日本をおかしくしたのは誰か

 日本は東洋のガラパゴス島とも言われ、世界的に独特な精神文化を持つ。民族的文化の特徴は生物的相違ではなく、他民族との地理的、社会的関係で形成される。日本の実質的労働生産性は、憲法で国民の生活を保証するには低すぎる。日本の労働基準法には、労働者に不利な例外規則が余りにも多く、労働者を不利な労働条件から保護できていない。日本では職場や生徒間の「嫌がらせ」のための泣き寝入りも常態化している。既に長年運用している障害者雇用促進法では、職場で一定以上の障害者雇用率を雇用側に義務化している。企業は違反すると不足違反一人当たり五万円の罰金が適用されるが、「役所」には適用されない。適用される七割以上の役所では障害者手帳を持たない「みなし障害者」を障害者として雇用していたことが最近発覚したと言う。この事実は雇用現場では数十年間も気が付かなかったと言うが、就職が困難な雇用者を差別することになった。制度を設けた国が制度を無視しても日本は法治社会なのか。 

改善がない社会風土
 江戸幕府の封建社会は、明治維新を経て外見は近代化されたが、社会風習は一向に変っていないように見える。欧米のように一神教の伝統がないので、集団それぞれに親分がいて子分たちを取仕切る。この絶対服従の人間関係に従わないと懲罰や報復が現在も日常起る。ここ数年来、物議を醸しだしているのは、スポーツ選手が帰属する大学やスポーツ協会などで、監督とコーチと選手間の人間関係だ。今年報告されたのは、大学のアメリカンフットボール試合で選手が相手方の選手に悪質タックルを働いたと言うものだ。その選手は部監督の「命令」を受けたコーチへの「忖度」に従って試合で悪意タックルに及んだと言う。大会に出場する選手には国などから奨励金が支給されることがある。多くの場合、奨励金は選手が所属するスポーツ協会などに送金されるらしい。監督が独占支配するスポーツ協会の多くでは、選手に支給される奨励金は監督の独断で協会の取り分と他の選手への分配が決定されることがあると言う。  太平洋戦争後の高度経済成長時代の幕開けは、一九五五年自民党が結成され、保守革新対立の下における保守一党優位の政治体制が整ったときだとされる。日本政治論の専門家である東京大学大学院の内山融教授によれば、それ以来、自民党政権の政策決定手法は、「官邸主導」と言われるもので、総理大臣を中心とした閣僚が与党や官僚を主導して政策を決定する。国会で政治家が官僚を主導し政策を実行する「政治主導」と英国内閣の政策決定要素でもある「官僚の中立性と専門性」をもバランスよく尊重された政策決定こそ民主主義の実現であると考えられる。日本の自民党の政策決定では、自民党総裁が総理大臣となり独裁政治をする傾向がある。総理大臣の力量にもよるのだろうが、官僚上層部の人事権を握っている総理大臣は忖度されるだろうから、忌憚がない意見を総理大臣に対して述べるような危険は起らない代り、思い余った官僚が自殺に追い込まれたりもする。日本国の頂点にいる政治家の存続を有権者が修正できないのもおかしい。自民党が六十年もの長期間政権を独占する結果、日本の政治が腐敗する。しかしそのような政治環境は、実は我々日本人有権者の政治無関心から生じたものでもあり、日本の政治家だけに責任があるわけではない。 

ごまかしは日本の家芸か
 十年ほど前に、安い外国産食材を国産と偽り、偽装した献立名で高額を吹っ掛け、軒並み老舗の料亭やレストランが世の中の批判を浴びた。五、六年前日本の自動車製造業は軒並み、燃費データを偽装して公表した。消費者や報道に問われると、当社では社内にある方法に従って測定した数値を載せたのだと虚偽で逃げ切ろうとした。数年来発覚したのは、日本の多くの有名鉄鋼製造業で、鉄鋼製品の規格データの偽装だった。また今回発覚では、日本の代表的自動車製造業の多くが自動車を工場出荷する最終検査で「無資格の検査員」が検査証を作成押印したという。内部告発で発覚したと言う報道会見では、これらの自動車企業は、工場が出来てから何十年も、この偽装を続けてきたと言うのだ。テレビに報じられた記者会見では、会社首脳たちは例によって「鎌首を揃え陳謝」したが、謝罪すれば罪が消えるとでも思っているのだろうか。同業者との競争に勝つことが至上命令、同業者がやるなら、自分の会社がやって何が悪いと言うのが、「赤信号一緒に渡れば怖くない」の本音なのか。 


Vol.221 -- 2018 年 09 月号

 

 

第百十二回 私の車と私の身体の健康状態

米国における人間の信用度
 米国でアパートなどに入居するために申込書に記入する必要がある情報は、パスポートや自動車免許証や近親者の名前や電話番号だ。米国では社会保障番号が必要で、金融機関に口座を開設する必要もある。家賃は通常は個人小切手で支払する。アパートの管理者などは、申込者の自動車免許証の記載データ、犯罪歴や銀行への融資支払い履歴なども見ることが出来る。したがって、米国では、「自分の情報を清く保つ」ことが信用度を保つ最良の方法になる。幸い私は滞米三十年間、自動車運転の違反が殆どない。いくつかあったのは、駐車違反と朝夕に通勤車車線を一人乗り運転で走ったことくらいだ。自宅購入の融資でも支払いが遅れたことは殆どない。警官が立ち会った犯罪歴は全くないし、他人から訴えられたこともない。 

私のフォルクスワーゲン
 三十年の米国生活では自動車を運転することは必要になる。大学生活で学外に出ることがなければ自転車くらいで済む。はじめは一年くらい、大型のポンコツ米国車を運転していたが、燃費がガロン当たり五マイルくらいだったので、中古の日本車に乗り換えた。最初は日産サニーの米国版、セントラの三扉ハッチバックに十年くらい乗っていた。手動変速で燃費も加速も良く満喫した。次はフォルクスワーゲンのフォックスで、ブラジルで生産された三扉ステイションワゴンだった。この型はサンターナと呼ばれたこともある。これも手動変速ですでに十三万マイル走行した六年物の中古を、四千七百ドルで二十四年前に買った。それ以来使っているが、実にいろいろと修理をした。友人はブラジル製のワーゲンは車の値段は安いが、部品が粗悪だからすぐ故障すると言って、私をからかった。たしかに、車を買って毎月何か問題が起こり、部品の交換が始まった。冷却水用ポンプ、燃料ポンプ、点火用回転盤、距離計などきりがない。距離計が故障してしまったので実走した距離は、現在距離計が示す走行距離二十七万マイルよりもかなり多い。もう日本に戻って十年ほど余り乗っていない。フォルクスワーゲンは三十五万マイル(五十万キロ)走ると表彰されると言う。買った当座は車体に傷はなかったが、シリコンバレイの地元で乗るようになると、他人に傷つけられることが頻々と起った。そして今は可哀そうなまでに、私の車の車体はぼこぼこに傷めつけられた。五年ほど前に中国の大連へ旅行した時は、何とタクシーから警察車両まで幅広く使われていた。大連は中国の重工業地帯だから、長い間、現地生産されてきたものと思われる。
 三十年間自動車保険はステイトファームの保険屋、フレッドマッケルに掛け金を払い続けた。私が事故などを殆ど起こさなかったので、最後の頃は優待保険料金として大幅に低い掛け金になった。でも車体に損傷を受け相手持ちで修理する時でも、保険会社は私の車の市場価値以上の修理金は払えないと言う。米国では自動車の車体検査や排気試験も州ごとに規則が違う。 

快適な生活は健康な身体から
 人間も七十歳を超えると、身長もどんどん低くなり、身体の具合もあちこち故障するのは車と同じだ。自動車と人体の健康の要所は異なるが、自動車ならエンジンと変速機とブレーキと電気回路など基本的な部分が正常に機能すれば自動車は走る。私が人体の機能の要、心臓をはじめとする臓器と脳と五感と四肢が調子良く動いてくれるには、「健康な歯」が重要だ。歯の健康は、口腔で十分な唾液の分泌が必要だ。一年以上前から、オーケストラの練習で管楽器を吹くことが歯の健康を保っている。 

 


徳川文武の「太平洋から見える日本」

Vol.220 -- 2018 年 08 月号

 

第百十一回 国内労働力不足の緩和

 日本では人手が足りないと言われる。時代や景気が変われば、それに応じて求人側と求職側が望む人材の職種、専門技能、働き方などは変化する。当然ながら求職側は、高賃金、十分な社会福祉、安全な職場、地域通勤、都合が良い働き方を望む。求人側は少ない経費で、高能力、安定人材の雇用を考える。求人側と求職側との要求は半ば相反する。とくに厳しい(きつい、きたない、きけんな)環境の職業(土木、建設、介護、看護、警察、警備など)だと、社会にとって必須でも、求職側は優先的には選択しない。さらに最近は、漁業、農業、林業、畜産業、飲食業、コンビニ店舗、宅配送、保育、教育の人気が落ちている。少子化による労働人口の減少に対して「求人に対応できない」状況を、人工知能など「新技術の活用」と「外国人労働者の雇用」により打開しようとしている。 

 昨今の国内労働市場では、日本の新卒の就職率は非常に高いが、諸外国と比較して、日本企業では「生産性が低い」ようだ。朝の通勤地獄も相変わらずで、通勤者は朝から疲れた表情だ。電通でも、NHKでも若い従業員の過労死が起こった。長時間労働は生産性向上にならない。「過労症候群」は社内伝染病だとする説もある。「切腹」、「神風特攻」、「過労死」は大和魂の伝統だが、生命を捧げる意味では、イスラム国の「アラー」精神も似ている。上司に触発された「至上命令」は森友加計情報捏造をもたらし、日本の自動車産業と鉄鋼産業のデータ捏造事件は伝染病のように蔓延した。働き方改革では、自民党政権は求人側の代表である経団連の要求に従い、先進国にない内容の派遣労働者制度や裁量労働制度を推進し、「過労死」への歯止めを取払った。厚労省が外部業者に委託した労働実態調査には多くの捏造データが使用され、歪んだ結果が出た。欧米では同一労働同一賃金がすでに常識だが、日本では雇用契約の違いが賃金格差を生む。安倍総理提唱の「一億総活躍社会」は、高齢者や女性の雇用が賃金格差を助長し、「過労死」の増加が危惧される。 

 厚労省は一九九三年に始まった外国人技能実習生制度の対象分野(漁業、農業、建設業、機械製造業)に介護産業を追加した。日本政府が国際協力を目的に作ったこの制度は、日本政府と実習生を出す外国政府との間に、外国側の送り出し機関と日本の受け入れ側機関が仲介者として設けられる。これらの代行機関は実習生にさまざまな「金銭的負担」をもたらすと言われる。日本側の実習生の受入れ企業の中には、低賃金で「労働力不足」を補う目的でこの制度を悪用し、「実習生への待遇」も当初の受入れ条件と異なる(長時間労働や経費差引きなど)こともある。日本政府は代行者に責任転嫁せず、実情を徹底調査して改善するべきだ。現在二十六万人が働いており、実習期間は通常は三年だが五年間まで延長可能である。二〇一七年に開始した介護実習生制度は、日本語と母国語(ベトナム語・英語・ミャンマー語・中国語・カンボジア語)で書かれた介護実践の教科書を使って行われる。来日一年以内に日本語試験に合格すれば、最長五年間介護施設で働ける。初めての介護実習生は中国から来る。日本の医学用語には難しい漢字が多い。例えば、「褥瘡」(床擦れによるできもの)は、明治時代の遺物だ。介護実習生は中国人ばかりではなく、医療分野の日本人にとっても、このさい思い切って用語を簡略化したらどうか。 

 つい先頃、日本のエネルギー産業の技術系管理職として働く甥が訪ねてきた。彼は同社のシンガポールや中国の工場でも働いていた。彼の日本工場で働く技術系の外国人は中々優秀で、数では筆頭が中国系、次はインド系で、今や技術系外国人なしではやって行けないと言う。二子玉川に本社を移転した楽天には、八千人余りの従業員が働き、かなりの数の外国人がいるらしい。今回日本政府が制度化するのは、五年間期限付の職種限定「外国人労働者」である。米国ではカリフォルニア州やテキサス州で、農作物の収穫にメキシコなどから多数の季節労働者を受入れている。日本は米国と違い、外国人が永住ビザを取るのは容易だが、市民権を取るのは世界一難しい。米国では永住ビザを獲得して五年経つと、米国帰化の受験資格ができ、合格すれば米国市民になる。日本国の将来は「民族多様性」にある。「賢い移民政策」で外国人を受容するべきだ。しかし、日本は他国の乗っ取りを絶対許してはならない。 


Vol.219 -- 2018 年 07 月号

 

第110回 日本で民主政治は機能するのか

 我々が口にする「アメリカ合衆国」と言う近代国家が発足してから、まだ二百数十年しか経っていないが、「民主主義」が行われている法治国家だと認識されている。さて、十七世紀に始まった江戸幕府による封建政治は、一八六八年の明治維新で大政奉還と版籍奉還され、天皇が内容を決めて国民(臣民)が大日本帝国憲法を頂戴した立憲君主制の二院制議会政治へ切り替わった。現在の新憲法にはない側面がある。それは天皇が統治権の全てを握り、文武官の任免と陸海軍の統帥、官職、講和や条約の締結など帝国議会が関与できない大きな権限をもち、軍の統帥権は内閣から拘束されず天皇に直属していたのである。わが国「日本」は、太平洋戦争に敗北する七十余年ほど前まで、天皇を戴いた建国二千六百余年の歴史がある大日本帝国であると、当時の国民(臣民)は学校で教えられてきたが、大日本帝国は、民主主義が行われる法治国家と言えるだろうか。ウィキペディアによれば、確かに大日本帝国議会は、その重要な意思決定を、帝国憲法に従って行うものの、天皇が帝国議会が関与できない軍の統帥権はじめ多くの重大な権限を持つことは、「民主主義の理念に合わない」と判定される。したがって、帝国憲法で規定された大日本帝国の国体は民主主義ではない。有権者の資格が性別や年齢や社会的資格や収入が条件となることは便宜的だと考えられる。 

 さて、アジア世界でいち早く近代化を目指した十九世紀後半の明治政府は、外交、経済、技術、防衛の全ての面で欧米先進国と競争して生残るしか道はないと「富国強兵」を国是と考えていた。赤道より北の太平洋地域は、海であろうと陸であろうと、十六世紀末以来、ポルトガル、スペイン、オランダ、英国、フランス、米国の間で植民地の分割がすでに完了していた。十九世紀以降の北アジアでは、英国、米国、ドイツ、ロシアが中国と朝鮮の縄張りを争っていたが、日本もこれに介入して、一八九四年日清戦争で勝利、一九〇五年に日露戦争にも勝利して、戦うことに自信がついた。二十世紀になると、日本の技術と工業生産の近代化も軌道に乗り、国内で鉄道や基幹産業が急速に拡大した。欧米諸国との軍事同盟も手についたが、第一次大戦のちの金輸出解禁と金融恐慌で世界経済は大混乱、一方国内政治が不安定になり、中国で勝利した日本陸軍の関東軍が暴走、軍部の台頭で政党内閣が崩壊して日本は国際連盟から脱退して孤立し、日独伊枢軸が形成され一九三七年に日中戦争が始まり、一気に一九四一年の米国ハワイの軍港へ奇襲をかけた。中国東北部や朝鮮は日本からそれほど遠くなかったが、工業資源を求めて南シナ海への旅は、航海の長さと膨大な量の燃料とが必要で、燃料供給地に到着する前に殆どの海軍戦力は最初の半年で撃沈された。そんなことは分かり切っていたが、参謀本部は面子に固執し、戦線の捏造と戦果の隠蔽を続け、虚偽の新聞記事で国民を騙し続けた。資源不足でも強行した太平洋戦争は一九四二年に敗戦が明白となっても続けた。国民生活は生活物資の不足で困窮したが、敵となった米軍にも多くの犠牲者が出た。敗戦の一年前の沖縄戦は戦う兵器もなく完敗し、翌年二度の原爆投下で人類初めての放射能災害が発生して戦いは終わった。兵士や民兵の生命は、イスラム国の兵士と同様、天皇のために玉砕することだと定められていた。 

 当然の結果は戦争に大敗、米国統治下で「新憲法」が発布され、国民の期待は民主政治ではあったが、七十余年が経っても日本に民主主義が定着しないのは何故か。察するに、第一に事大主義の社会風土が根強く、第二に社会主義政治活動を恐れた反動で、保守政党が定着、第三に自民党の金権政治が止まらず、第四に国民の政治関心が低いなどであろう。何故か日本に社会主義は根付かず、有権者それも女性の安定政権志向が強調される。しかし、どんな政党も長期継続すれば、傲慢になり汚職が増えるのは世の常である。これを避けるには、政党の継続期間を制限する法制化が必須である。一方、野党は百年一日のように、与党の政策に代案なく反対するのは、政治家がやることではない。日本の政治がお粗末になりがちなのは、議員に投票した有権者が「当選議員の結果を確かめる責任」を感じないことだ。そして最近の政権は政治倫理も約束も守らず、ただ自分の独善を押し通すばかり、国にとって最も大切な情報を役人に廃棄させ改ざんさせる圧力をかける、あってはならないことがまかり通るようでは、「責任者」は舞台から降りるしかない。


Vol.217 -- 2018 年 06 月号

 

第一〇九回 トランプ大統領と安倍総理は何を考える

 米国の貨幣や紙幣には「われ神(GOD)を信じる」と書いてある。ひょっとしたら、「われ金(GOLD)を信じる」の間違いではないか。トランプ大統領は米国最大勢力のキリスト教福音派(エバンジェリカルズ)の支援を巧みに使い、昨年の大統領選挙に勝利した。福音派はキリスト教の宗派ではなく、聖書を尊重するキリスト教信者の集団だが、米国人口の四分の一にもなる。トランプ大統領は、河童の皿のような形状のキッパを頭上に被り、米国現役大統領として初めて「嘆きの壁」で祈りを捧げた。選挙公約の一つは、米国のイスラエル大使館を商都テルアビブからパレスチナの中心都市イェルサレムに移転することだったが、今年五月中旬に行われ、ユダヤ人男性と結婚し、キリスト教からユダヤ教へ改宗した大統領の娘が式典に出席することになった。米国のこの行動はイスラム諸国を激怒させた。 

 世界の宗教人口は、二〇一〇年にキリスト教二十二億人、イスラム教十六億人になった。人口増加ではイスラム教地域の増加がより早く、同様の人口増加率が続けば、二〇五〇年には両者が二十九億人ずつになる。経済格差から見ると、カトリック地域(北中南米)とイスラム地域(アフリカ、ユーラシア)に低収入層が多い。歴史的に見て、軍事政権や暴動が多いのは低収入層が多い国である。米国の総人口はすでに三億人を越えているが、低収入層には低技能者の「黒人労働者と白人労働者」や「いわゆるラティノ(スペイン語系)」の人々が多い。彼らは、貧しいので十分な教育が受けられず収入が低い職にしか就けないという、「負の連鎖」から中々脱出できない。 

 トランプ大統領は従来の米国大統領と比べると、「何が出来るか」が「予測できない」。一方、安倍総理は「出来ないこと」が「予測できる」。トランプ大統領には、特有の「動物的感覚」、これは「不動産事業」と言うより、「不動産商人」と言った方が当たっているのかもしれない。私はトランプ大統領がもっと「世界の歴史を学ぶべき」だと感じている。かれは「メキシコで操業して米国へ輸出する自動車産業」を「米国の雇用を奪う不当な産業」だとして、米国で生産するように切り替えさせた。結果は、米国での生産の人件費は間違いなく高くなり、その自動車を買う米国の消費者の懐を苦しくする。米国での生産を安くしようとすれば、メキシコの場合よりも自動生産をする多額の投資が必要になり、雇用を減らす結果となる。私の理解では、人工頭脳のソフトウエアの開発は、世界中で米国が得意とする分野だと思う。米国のテスラやグーグルは自動車の自動運転の実用化を積極的に進めているものの、実用運転で安全な自動運転技術を実現するのが「如何に難しいか」、その技術はジャンボジェットや戦闘機の自動操縦よりもさらに困難だと言うことが身にしみただろう。日本の道路で自動車の自動運転をするのは「更に困難だ」 

 トランプ大統領は「商売人感覚」で「強引なかけひき」をするのには慣れているかも知れない。それが「不動産商売」や「リゾート開発」なら、運が悪くても「破産や大赤字」で逃げ切れる。しかし、彼にいくら腕力があっても、「国連加盟国を無視」して「罪もない他国の人々を殺したり」、従来のように「米国の利益」ばかり優先して「世界の警察署」を演じるのは、よろしくない。私は、日本の安倍総理が米国のトランプ大統領の言いなりになって、北朝鮮のミサイルに対抗するために、「役に立たない兵器」を買わされるのは大反対だ。吹っかけ値段のF−35もオスプレイもミサイル迎撃システムも思い切り値切ったらどうか。さもなければ日本は、そんな無駄な兵器が必要ないような外交をすることが賢明だ。私は韓国と北朝鮮が早く統一されて一国になるよう望む。第二次大戦・太平洋戦争の戦勝国には「核兵器」を保有する国がある。それなら、北朝鮮が核兵器を持っても、それを日本に向けて行使しなければ構わないではないか。北朝鮮が一九七〇年代、八十年代に日本人を拉致したのは許せない。それは人道上、人権無視の行為であるが、国連に提訴したからと言って、国連加盟国が四、五十年前の拉致被害者解放を助けてくれるかどうかは分からない。日本の領土問題も国連で提訴して解決するとは思えない。物事は事件が起ってから、余りに長い時間が経ったり、他国の関心が薄いことだったりすると、解決を期待することは困難だ。一口で言えば、日本政府が「熱意不足と技術不足」だったことである。 


Vol.217 -- 2018 年 05 月号

第一〇八回 新技術の悪用が災害を生む

 時代と共に開発される新技術が当初の目的以外に応用された結果、災害が起る。ウェブに掲載されていたカラパイアの情報では、ダイナマイト安定剤技術から〈軍用爆弾〉、大豆の開花促進剤が〈オレンジ剤(ベトナム戦化学兵器)〉、カラシニコフ銃(簡単安価製造容易)が〈テロ武器〉、唐辛子スプレイ(郵便配達の犬よけ)が〈テロ武器〉、飛行機(非軍事目的)が〈軍用兵器〉、中性子連鎖反応が〈原子爆弾〉の原理に悪用された。 

世界を変えた半導体技術
 機械技術の進歩は「何倍」と言う変化、電気技術の進歩は「何乗」(複利の原理)と言う変化で世の中の機能を変えた。従来電気回路の入切に使用された継電器(リレイ)と言う「スイッチ」、電気回路の信号の増幅に使用された「真空菅」は、一九五〇年代の半導体集積回路の出現で、デジタル伝送で高速化し増幅率は大幅に増加した。多数の情報(データ)の「保持」(記憶、メモリ)が容易になった。トランジスタの発明から約六十年が経ち、同等機能の半導体チップの面積も百万分の一ほどに縮小された。新しい半導体部品で作った回路で出来上がったPC(個人用計算機)の時計速度は当初の数メガ(百万)ヘルツの千倍を超えている。単純に言えば、計算機の演算速度が千倍になった。計算機の大きさや重量も増えてはいない。そしてデータを長期保存したり書換えたりする固定記憶装置の容量も百万倍くらいになっている。 

ドローン(無人ヘリコプタ)
 一九七〇年頃、三宮の高架下にある模型屋で五十センチほどの無線操縦の内燃機関付きヘリコプタが五万円ほどで売られていた。一九八二年頃私は米国カリフォルニア州シリコンバレイでマイクロ波通信機の開発設計をしていた。航空分野の雑誌には、その後米国のイラク攻撃に使われた小型無人偵察機の写真が載っていた。一九九〇年頃、米国の電気製品店フライズに日本製小型電池駆動の無線ヘリコプタが十ドル位で売られていた。これはプラスチック製で大きさが二十センチほどだったが、のちに半分くらいに小型化し値段も数ドルになった。しかし電池の重さと容量から飛行時間は数分だった。二〇一〇年、世界の無線操縦ドローン市場の七割以上は中国製品になったと言う。この頃、日本では持ち主不詳のドローンが首相官邸の屋上に墜落した。テロリストが未登録のドローンを飛ばして攻撃する時代に入った。このドローンで政府や企業の秘密情報を盗んだり、化学兵器で危害を加えることは容易だ。 

他人の誹謗をばらまくSNS
 携帯電話やスマートフォンでは、SNS(ライン、ツイッター、フェイスブックなど、インターネット上で同士との関係を広げるサービス)には特徴あるサービスが多いが、その便利さが裏目に出て、利用者の間で仲間同士のいじめや誹謗が起りやすい。結果として、日本では学校の生徒がいじめや殺害に巻き込まれる例も少なくない。トランプ大統領の意志伝達手段は、報道記者との会見よりもSNSである。 

ロボット技術で自動運転
 産業用ロボットは半世紀以上前から生産現場で活用されている。ダビンチなど外科手術用手先は実用されているが高価だ。最近の日本では、人型ロボットが接客や介護補助に使われ始めている。接客ロボットには、客に対する個人認識と学習効果が必要になる。警備ロボットも公衆の場で試用が開始され、要注意人物の発見通報と現場対処の評価中だ。
 人間が交通機関(船舶、飛行機、鉄道車両、自動車など)を運転するとき、慣性が大きい交通機関の方向変更や加減速には、性能や周辺環境に応じた操作が必要になり、人間の運転能力では対応が困難なことも多い。半世紀ほど前から、大型タンカーや大型ジェット航空機や高速鉄道車両には、半自動や全自動の運転が採用されるようになった。昨今は自動車の全自動運転が目標となっている。とくに内燃機関を動力とする自動車では、環境保護と人為事故の回避の要求から、全電気化と自動運転化が製造側の目標になっている。
 自動車の自動運転はその製造各社がここ五、六年、北欧や米国の一般道路上を人間運転手付きで評価実験中と報告されている。今年米国アリゾナ州の一般道路上で、人間運転手付きの自動運転車が実験中一般車両と事故を起こした。原因は、周辺障害物検知レーダに死角があり他車を認識できなかったことだ。そのため米国におけるこの種の実験の中断が報告されている。このことは、自動車の安全な無人運転には「幾多の技術的課題」が残っていることが分かる。