おもいつきコラム


コラムー5

想定外

 

 平成30年の7月は、天候不順で記録的な大雨と酷暑の期間であった。

 まず、6月29日に気象庁から関東甲信越地方梅雨明け宣言があったと思ったら、その時期に日本の沖縄南方で発生していた台風7号が7月2日から4日にかけて東シナ海から対馬を通って日本海に抜けた。その時に梅雨前線に湿った空気が送られたため梅雨前線付近で猛烈な量の雨が降り、広島岡山愛媛県等で土砂災害と河川の堤防決壊によ水害で、多数の死傷者を出した。梅雨前線が消えたと思ったら翌日からは、日本上空が太平洋高気圧とその上にチベット高気圧が張り出して来て、猛暑の日々が約17日間続き、台風12号の日本上陸で暑さは一息ついた感じだ。報道機関の天気情報では、西日本の大雨情報のときは、「想定外」の雨量とかこの暑さが「想定外」の気温を示していると連日の報道であった。

 そう言えば、さる7年前、東日本大震災の大津波でも「想定外」の大波で、福島第一発電所の地下に会った非常電源装置が津波の水で水没し稼働できなくなったばかりに原子力発電所の原子炉制御が出来なくなり、建屋の水素爆発による破壊と放射性物質の飛散と言う大災害が起こったばかりだ。

 土木建築や車両機械を作るときにまずは、物理的な強度や衝撃による加重などを、設計者は今までの記録されているデータを基にして、物理的にどこまでの強さまでについて安全かを決めて各部材の構成を設計する。それは想定された強度であり安全基準である。その基準を求めないと具体的な金属の厚さや寸法が出ないからだ。それを組み立てて実際の者が出来てくる。それらのデータは、我々の経験則や経験値、および実験で得たものから測り知ったものである。実験場や実験室で試験が行えるものはまだ実験の計測値の積み重ねで計算値が出せるが、これが気象や潮位などの我々を取り巻いているもののデータとなると、すべて時間の積み重ねによってその変動地を記録するしかない。我々を取り巻く自然現象のデータは、最も早くとり始めたデータでも150年前くらいからだろう。地球が出来て46億年、人類の文化遺産として歴史でさかのぼって今から5千年、イギリスの産業革命以来の科学技術が発展して230年あまりである。技術的に又は物を作るときの思想として使える記録としてはほんのわずかな期間でしかない。自然現象で言えば、その中で想定されるわずかな変動地を参考にして、設計されているので、一度地球の大きな変動ではすべて「想定外」になってしまうだろう。

 第一に、人類がこの200年の間にこれほど増えたことも「想定外」だったのではないだろうか。ある推定では1800年では10億人であった数が、2015年には70億人を超えているという。あるネットデータでは現在、75億人弱と出しているところもある。    

良くも悪くもそれだけの人口が生活するには、食料・水・エネルギーが必要だが、現在は、まだ化石燃料に頼っている。その消費の結果が、地球全体の気候や気象現象を変えて行っている。今後の地球の気象に由来する「想定外」は、さらに頻繁に起こりそうである。


コラムー4

 

地方の気質

 

 先月は、縁あって石川県の小松に旅をする機会を得ました。小生の学生時代建築の勉強をしていてさらに都市計画系の研究室に席を置いたのが縁で、同期生の出身が小松であったのです。その生家が現在では誰も住まなくなって空き家になっているが、良い活用法を考えるのにまずは現地を見てみようとする発想です。

 そこで現地石川県に長年住んでいる別の研究室の同級生で金沢の大学で教鞭をとっていた者から、深夜へかけての飲み会の席で何気なく聞かされた言葉が「越中強盗、加賀乞食、越前詐欺」と言うんだよとのこと。初めは何のことか不明でしたが、戻ってから気になっていたので調べてみると、北陸地方の特に、富山・石川・福井県の地域堅気と言うか気質らしいと合点しました。北陸と言う気候風土、また戦国・江戸時代の政治経済風土がこの日本海側に面し、冬の過酷な気象条件の中でその地域の人々が如何に生き抜いて来たかを言い表しているようです。それぞれの謂れの由来はここでは説明しませんが、ネットで検索すればすぐわかります。

 振り返って、わが地域、関東の千葉県、さらに東京よりの地域であると東葛飾はどうでしょうか。北陸に比べ気候は穏やか、冬の北風は強いですが温暖でしょう。江戸時代の昔からあまり飢饉があったとか、震災で大損害を被ったなどの史実はみません。大東和戦争の期間でも、東京都内とは違い東葛地域に空襲による爆弾の被害があったことはほとんど無いようです。そのように


平成30531

 

コラム-3

 

清掃のおばさん

 それは急な申し出であった。私共で管理している賃貸マンションの清掃を担当していたおばさんが仕事を辞めたいと言う。理由は目が見えないからとのこと。何でも今年に入ってから視界がくすんでしょうがないと感じていたが、最近になって眼科医に診察してもらったところ白内障とのことで手術を受けねばならない。これを機に仕事を辞めたいとの申し出であった。

 次の清掃会社と契約し、仕事が始まるのに連休を挟んで2週間ほど間が空くことになった。その間誰かがゴミ置き場等の清掃をしなければならないが、働き手が見つからないので急遽こちらがごみ処理だけでも行うことにした。自らやってみると色々な経験をすることになった。まずゴミの出し方と回収で、松戸市の場合、今年度から燃えるごみは松戸市専用のポリ袋を使ってないと回収車が取って行ってくれない。今まで紙袋で燃えるごみを出していたがそれであると回収車はもって行かないので、内部を開けて改めて詰めなおす。のら猫やネズミが袋を食いちぎって生ごみなどを散らかし、その後始末をしたりしていると結構な作業になる。燃えないゴミ、資源ごみ、ペットボトルなど分別して引き取り易いように整理するとそれなりの時間と手間が掛かるなど、やってみると結構大変な仕事である。

 どんなに立派で美しい建物を作っても、それを管理して常に清潔で綺麗な状況にしていくためには努力がいるし、お金もかかる。それは我々の体で例えれば、風呂に入り体を清潔にすることや歯を磨くこと、トイレで始末をすることなどと同じことに思える。建物ばかりでなく、街中の道路、橋などの公共構築物や、工場などの色々な施設についても、さらに今我々が居住する環境や地球の自然環境についても同様であろう。普段の生活の中で意外と意識していないが、清掃や電気の球の取替え、電気関係の点検、排水管の清掃など、トラブルがあったときに改めて有難さがわかるのが、普段からの管理が良いかどうかだ。普段の生活の中での縁の下の力持ち的な作業である。それを担っているのは、民間の一般建物施設おける清掃作業においては定年過ぎの方々が多いのかもしれない。

 

 清掃の業務をしていた「おばさん」と書いたが年のころは70歳半ばであろう、身長も140センチに満たない小柄な方だから、もう「お婆さん」に近いだろう。たまたま街中で会う機会があったとき、結構お洒落をして楽しんでいた。何でもこの清掃の報酬で、孫に物を買ってあげるのが楽しみと言っていたのを思い出す。いつまでも元気に頑張って働いてくださいとは言うものの、寄る年波には勝てないなと思う。今まで、本当にご苦労様でした。


コラム-2 

2 戸定の名称の由来

 

 松戸市の戸定邸は20153月に、国から旧徳川昭武庭園として国指定名勝になりました。

そこで、なぜ戸定邸と言うのか、この「戸定」という名称の由来はどこから来たのだろうと疑問に思い幾つか聞いてみました。聞いたのは、戸定歴史館、松戸市観光協会、松戸市教育委員会です。 その結果、明治から付けられた小字が「戸定」と有ったことから「戸定邸と名付けられた」ようです。

 それではこの「字(あざ)」 とはどのようにして付けられたのか。調べれば江戸時代の検地帳に由来し、明治になって地租改正に改編されて現在に通用するようになっているらしい。

検地帳は言わば江戸時代の各地各村の経済人口調査書・税金台帳で、現在の5年毎の国勢調査みたいなものでしょう。そのころに「戸定」の文字がすでにあったようだと想像します。

 この「字(あざ)」 は何かに由来する。たとえば沼沢地を開墾して田地にすれば、そこを開拓した人の名を取って「〇〇新田」とかです。またお寺や神社に由来したものなどもあったことでしょう。

松戸市の教育委員会の研究員の方から、戦国時代の16世紀あたりに、現在の千葉大の園芸学校の校舎あたりに戦国時代の城(石垣などをめぐらさない戦国武士の城館か)があり、現在の戸定の地にはその城館の外城があったのではないかとの話を伺いました。その遺構の確認は出来ていないのだが、その城館(城?)の「外城」が江戸時代の検地で「戸定」と当て字されて、地租改正後に「字」として残ったという主旨です。

この松戸の地形は、西に流れる江戸川に向かい、関東ローム層からなる台地が小さな河川を間にはさみ、瘤のように西側に張り出している。そこは見晴らしも良く戦術上の砦には格好の地であり、また一方信仰の面では西に夕日と富士山を眺められる神社の良い立地でもあったと解すことが出来ます。現在、松戸市などで建てられた史跡案内の道標や神社をみればなるほどと合点するものがありますね。

 戦国時代の「お城」に由来する「戸定」の名称は、なぜ徳川昭武公がこの地を選んだかと言うことにも何か解すものがありそうに思え500年前のイメージを思い起こさせるのです。

 

 


コラム-1

1 パッと咲いた今年の春

  戸定企画のホームページを作るに当たり、写真や説明ばかりでなく、メンバーの思い感情を乗せようというものです。第1回目は、言い出しっぺからです。

さて、今年の春は2月が寒く、3月には暖かかったので草木の花がいっぺんに咲きました。例年、3月初旬に木瓜、杏子、花桃、モクレンやこぶしの花が咲き、それから花海棠、さくらが咲くような順番をイメージしていたのが、みんな一遍に咲いた感じです。

 戸定邸のしだれ桜も3月中ごろで御終いかと思いきや下旬の土曜日に見ごろでした。桜のソメイヨシノの花は、今年は入学式の花ではなく卒業式の花だねと言われるくらい季節がずれました。松戸市の桜まつりも今年は、葉桜まつりでしょう。

 一般的に常識や社会システムが変わるとき、大きな災害や地殻変動、そして大きな戦争・紛争などがあります。変化の大きな振れ幅があって次第に次の環境に移行していく。我々もその流れには逆らうことはできません。今年の春はそのような変化の一端であるかも知れません。我々の住む地球とその環境は常に動いているのですから、注意深く観察していきたいと思います。